父(森明)→家族
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/8: 010
- 1953/12/25: 083
『流れのほとりにて』
- 1957/6/3: 285
- 1957/6/27: 305(病苦になやんでいた父)
- 1958/2/9: 418(いつも静に存在している父)
- 1958/4/30: 463
集成2
『砂漠に向かって』
- 1963/4/13: 205(父母), 207
- 1963/9/7: 213-214
- 1966/1/26: 276(稚い日の、父や母、祖母たちの姿)
- 1967/4/6: 353
- 1967/5/28: 378(父親としての子供に対する生活の真理)
- 1967/6/18: 436
- 1967/6/27: 445(まだ父もなく母もない原始の罪)
- 1967/11/4: 491
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「遥かなノートル・ダム」: 091-094
- 「ルオーについて」: 178(ルオーのお父さん), 183(厳しい父親)
- 「思索の源泉としての音楽」: 210
集成4
『旅の空の下で』
- 「旅の空の下で」: 080(父母未生以前本来の面目)
- 「早春のパリから初秋の東京まで」: 124, 128
日記
- 1965/9/2: 3-421
- 1965(日付なし): 3-429
- 1967/12/17: 3-449-450
- 1967/12/27: 3-488
- 1967/12/31: 3-508-510
- 1968/1/11: 4-487
中国、中共、日中問題、日中復交
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/13: 025(唐文明)
- 1956/4/6: 154(支那料理屋)
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/11/2: 029
- 1958/12/31: 081(支那文字、中国語)
『砂漠に向かって』
- 1966/9/6: 290(支那事変)
- 1966/9/14: 296(古典中国語), 297(中国古典全体), 298(中国文明)
- 1967/3/9: 322(文化革命)
- 1967/3/11: 326(夢の中の印象では場所は北京), 327
- 1967/3/26: 335(中国人)
- 1967/4/17: 360(中国ないし社会主義国)
- 1967/4/23: 366
- 1967/5/14: 369(和田清先生の「中国史」)
- 1967/5/15: 370(中国の古代民衆), 372
- 1967/5/26: 374(古代中国)
- 1967/6/3: 386(中国革命の動向)
- 1967/6/7: 400(中国人民), 401-403
- 1967/6/8: 405(日本語や中国語), 406
- 1967/6/9: 409, 411(古代中国語)
- 1967/6/10: 417
- 1967/6/11: 422(中国料理店)
- 1967/6/13: 428(中国の状態)
- 1967/6/16: 433(中国飯店)
- 1967/8/30: 455
- 1967/8/31: 476(中華料理), 478(中国の厳しい山や谷)
- 1967/11/8: 497(中華料理)
- 1967/11/14: 498
集成3
集成4
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「パリで中国を想う」: 109-135
- 「大陸の影の下で」: 136-179
- 「わが思索わが風土」: 191
- 「感想」: 200, 212, 223, 226, 228, 232, 235(中国帝国)
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「八月十五日の感想」: 287, 288, 289, 290
- 「現下の時点にあたって思う」: 293, 296, 301
- 「三十年という歳月」: 304(中国軍), 309(新中国の成立), 315
日記
- 1957/1/12: 1-518(漢・隋・唐)
- 1957/1/27: 1-531
- 1959/3/15: 2-507
- 1959/3/16: 2-510
- 1960/9/9: 2-545
- 1964/9/16: 3-376
- 1965/3/17: 3-396
- 1965/3/18: 3-400
- 1965/3/20: 3-403(西安と洛陽の写真)
- 1969/4/20: 4-566
- 1970/2/25: 5-328-329
- 1971/1/11: 5-372
- 1971/1/14: 5-377-378
- 1971/4/3: 5-421
朝鮮
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/12/25: 070(朝鮮語の講師李君)
『砂漠に向かって』
- 1966/9/5: 287(朝鮮戦争の最中)
- 1967/3/26: 335(韓国人)
- 1967/3/30: 347(韓国人)
集成3
集成4
『旅の空の下で』
- 「旅の空の下で」: 083
- 「文化の根というものについて」: 158(朝鮮戦争)
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「パリで中国を想う」: 125
- 「大陸の影の下で」: 170
集成5
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「三十年という歳月」: 315(朝鮮戦争)
日記
- 1957/1/12: 1-518
- 1968/1/28: 4-498
- 1968/1/29: 4-500
調和→エキリーブル、平衡、諧和
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/9: 024(内面の調和)
- 1953/10/19: 050(調和のある世界)
- 1953/10/22: 064(諧和)
- 1953/10/24: 067
- 1953/12/27: 105
- 1956/5/9: 165(「調和の法則と伝統」), 166
- 1956/8/30: 184, 187
『流れのほとりにて』
- 1957/4/19: 235(調和)
- 1957/6/1: 279(無限に深く透明な色調の諧和)
- 1957/6/10: 287(違う音色の醸し出す感触とその諧和)
- 1957/7/5: 309(美の調和)
- 1957/8/19: 344(感覚の調和)
- 1957/8/22: 345(感覚的要素の調和)
- 1957/9/13: 360(宗教的なものと卑俗な人間的なものとのこの見事な調和), 362-363
- 1957/9/22: 378
- 1958/4/15: 448
- 1958/4/27: 457
集成2
『砂漠に向かって』
- 1966/8/31: 282
- 1966/11/30: 315
- 1967/4/6: 352
- 1967/5/26: 374(凡ゆる表現も及ばぬ諧和)
- 1967/8/31: 487(諧和)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 043(諧和)
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 196(大きい、調和した弛緩状態)
- 「初秋のパリから」: 222
その他
- 「リールケのレゾナンス」: 280(人間的価値とその調和のとれた表現)