南仏→マルセイユ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 011, 018-022
  • 1953/10/13: 024-030(マントン)
  • 1953/10/14: 030-033(マントン)
  • 1953/12/26: 090(南フランス)
  • 1953/12/27: 098
  • 1956/4/12: 160(ニース)
  • 1956/8/29: 175(ヴォークリューズ県オランジュ
  • 1956/8/30: 179(オランジュ), 180-181, 182-190(カルパントラ)
  • 1956/8/31: 190-192(ヴゾン・ラ・ロメーヌ)
  • 1956/9/2: 192-194(ガール県ソミエール), 195-198(カルパントラ), 199
  • 1956/9/3: 199-201(ソミエール)
  • あとがき: 207(一九五六年 初秋 ガール県ソミエールにて)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/18: 218(南仏のカマルグにあるサン・ジール、ガール県の西端にあるサン・マルタン・ドゥ・ロンドル、エロールの渓谷にのぞむサン・ギレーム・ル・デゼール)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/8/21: 449
  • 1967/8/30: 455-457(ニース)
  • 1967/8/30: 458-461
  • 1967/8/31: 482(フランスのスペイン寄りの地中海岸のニームの近く)
  • 1967/11/3: 486

集成3

『遥かなノートル・ダム』

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 056(南フランスの大旅行), 067(ニース)
  • 「旅の空の下で」: 097
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 122, 137
  • 「『ことば』について」: 151(当時避暑していた南仏の一寒村)
  • 「文化の根というものについて」: 161

日記

  • 1962/9/8: 3-336-337