在る、在ること→存在
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/8: 009
- 1953/10/9: 013(人間が人間らしく在る)
- 1953/10/19: 052(一箇の男性がそのものとして、そこに在るというもの)
- 1953/10/20: 061
- 1953/12/25: 081(「自分というものが在る」)
- 1953/10/31: 076(永遠に在るものの記号)
- 1956/3/26: 137(ただ「在る」ということの深い意味), 138
- 1956/8/6: 173(実存主義でいう「そこに在る」)
『流れのほとりにて』
- 1957/6/12: 293(「在る」ということの本当の意味)
- 1957/7/7: 316
- 1957/7/18: 324
- 1957/8/13: 339
- 1957/9/13: 365(客観的に在る何か)
- 1957/9/15: 370
- 1957/12/22: 399(存在として在る自己)
- 1957/12/29: 404(「が在る自己」)
- 1958/2/2: 413(感覚を超えるところに在る、すなわち精神に在る)
- 1958/2/3: 415-416
- 1958/4/30: 466
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/11/2: 029
- 1958/11/4: 034
- 1958/12/31: 080
- 1959/1/1: 083(在り始めた)
- 1959/1/3: 087(最初の出発の状態に在る)
- 1959/9/1: 115
『砂漠に向かって』
- 1952年 ノエルの宵: 169(現実にあるということ), 188
- 1967/3/28: 342(常にそこに在った)
- 1967/4/8: 354(現に存している場所に、このように在ること)
- 1967/4/23: 367(在ると言えば在る)
- 1967/6/3: 386(「現に在るもの」)
- 1967/6/4: 389(そこに在るこの私)
- 1967/6/10: 419(自分が「在る」ところのそのもの)
- 1967/6/27: 444(人が在るところのもの), 445
- 1967/8/21: 451
- 1967/8/30: 456-457, 459, 461
- 1967/8/31: 476(東京に在る自己), 478, 481
- 1967/11/3: 487
- 1967/11/4: 490-492
- 1967/11/7: 496
- 1967/11/14: 499
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「ひかりとノートル・ダム」: 072(本当に在るもの)
- 「遥かなノートルダム」: 079, 080(「我思う、故に我在り」), 106, 108
- 「ルオーについて」: 168, 170, 187(『ひとり在る』), 191(本当に「在る」), 192-193(「在ること」)
- 「思索の源泉としての音楽」: 212
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 014(「在る」), 017(そこに在る), 027, 057-058
- 「旅の空の下で」: 080(正に在った), 098(本当に在るもの)
- 「早春のパリから初秋の東京まで」: 120, 135, 137
- 「文化の根というものについて」: 161
- 「初秋のパリから」: 215
- 「シャルトルと法隆寺」: 250, 254
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「パリ」: 242