愛、愛情→恋愛、肉交

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 017(愛情)
  • 1953/10/13: 028(愛の砂漠), 029
  • 1953/10/15: 035(この町を愛する心)
  • 1953/10/17: 040, 041
  • 1953/10/19: 048, 049, 050(神の愛の宇宙的支配)
  • 1953/10/20: 056(宗教と愛情と学問), 061
  • 1953/10/24: 070(神を愛し敬う)
  • 1953/10/31: 079
  • 1953/12/25: 083(愛の親密さ), 084
  • 1953/12/26: 092(愛着と尊敬)
  • 1953/12/27: 097(本当の愛), 098(唯一回限りの人生と愛)
  • 1954/1/5: 107, 111(プルーストマゾヒズム的同性愛), 113
  • 1954/2/16: 115(新しい愛), 116, 119(母の愛)
  • 1956/3/24: 131(日本を愛していること)
  • 1956/3/26: 138(友情とか愛情とかいうこと)
  • 1956/4/1: 151(愛や憎悪)
  • 1956/8/5: 171(愛の共同体), 172(花の愛玩)
  • 1956/8/6: 174(生の人間の愛情と感情)
  • 1956/9/2: 199
  • 1956/9/3: 200
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/19: 232
  • 1957/4/20: 237
  • 1957/4/21: 243, 244
  • 1957/6/1: 276, 277
  • 1957/6/10: 290(所謂愛なるもの), 291(無関心の愛情)
  • 1957/6/12: 293
  • 1957/6/14: 299
  • 1957/9/22: 385
  • 1957/12/22: 398(パスカルの愛の構造)
  • 1958/2/9: 418
  • 1958/3/13: 441(自分の国を愛し、そのために働く)
  • 1958/4/30: 466

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/12/10: 055(自分とパリと仕事と愛情と、自分が生れた日本と)
  • 1958/12/24: 068(キリスト教的な神秘的愛の実体性)
  • 1959/8/19: 095(愛情、欲望、学問、仕事など), 096
  • 1959/8/25: 109
  • 1959/10/4: 146-147
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 191
  • 1963/9/8: 220(敵に対する愛)
  • 1963/9/13: 237(愛と結婚との矛盾)
  • 1965/12/4: 251
  • 1966/9/6: 290(成熟につれて必然的に起って来る愛情の問題)
  • 1967/3/30: 345(愛と死の近似性)
  • 1967/3/31: 350
  • 1967/6/9: 413(「愛」の問題), 415(自分の家族に対する愛と憎しみとの只ならぬ交替), 416(「愛」)
  • 1967/6/11: 424(同性愛的)
  • 1967/6/18: 439-440
  • 1967/6/21: 441(親愛の情)
  • 1967/6/27: 443(「愛」と「憎しみ」)
  • 1967/8/21: 453(孤独を愛する)
  • 1967/8/30: 469

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ある夏の日の感想」: 130, 131-132(『愛』)
  • 「パリの生活の一断面」: 138(「愛」の思想)
  • 「ルオーについて」: 183(恋愛と愛との間), 192, 201-202
  • 「滞日雑感」: 225, 235
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 047(「愛情」)
  • 「一九六八年の夏の反省」: 106(愛情の発露)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 132(愛好の対象)
  • 「文化の根というものについて」: 164(愛の体験), 176(同性愛)
  • 「初秋のパリから」: 216(男女の愛), 227
  • 「偶感」: 245(愛と死)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 159
  • 「パリ」: 243
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「現下の時点にあたって思う」: 301
  • 「三十年という歳月」: 317(愛情を遍歴)

日記

  • 1962/6/11: 3-319
  • 1962/9/6: 3-333(本当の愛)
  • 1968/1/3: 4-475-476
  • 1968/2/18: 4-510
  • 1968/2/26: 4-518
  • 1968/10/30: 4-533-535
  • 1968/10/31: 4-537
  • 1968/11/2: 4-537
  • 1969/2/2: 4-551
  • 1969/2/9: 4-553
  • 1969/3/23: 4-557-558
  • 1969/4/20: 4-566
  • 1969/5/11: 4-568
  • 1970/1/25: 5-323-325
  • 1970/12/14: 5-353
  • 1971/3/27: 5-411-412
  • 1971/4/12: 5-433-435
  • 1972/2/8: 5-482
  • 1972/12/29: 5-494
  • 1973/3/4: 5-498
  • 1973/3/6: 5-498
  • 1973/3/28: 5-501

アヴァンチュール(avanture)→冒険

集成3

ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 036(冒険的な実存)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「大陸の影の下で」: 155, 159

日記

  • 1969/1/13: 4-548

証し、直証→証言

集成1

『流れのほとりにて』

  • 1957/4/21: 245(直証)
  • 1957/6/16: 303(感覚の本当の独立性の証し)
  • 1957/12/22: 398
  • 1958/4/22: 451(無言の証し)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1963/4/13: 203

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 017, 038
  • 「ルオーについて」: 170

集成4

『旅の空の下で』
  • 「旅の空の下で」: 079
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 204(日本人の証し)
  • 「偶感」: 240
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 260(必然性、あるいは実体性の証し)

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「雑木林の中の反省」: 026(自分を証しするものの誕生)
  • 「パリ」: 243

芥川龍之介

集成1

『流れのほとりにて』

  • 1957/6/13: 295
  • 1957/9/30: 389
  • 1957/12/22: 396
  • 1957/12/25: 401

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1965/12/31: 261(芥川の作品集)

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「パリの生活の一断面」: 156

集成4

『旅の空の下で』
  • 「『ことば』について」: 150-153
  • カルティエ・ラタンの周辺にて」: 205

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「感想」: 239

日記

  • 1956/11/15: 1-505
  • 1959/3/17: 2-512
  • 1959/6/23: 2-542
  • 1960/9/17: 2-549
  • 1960/10/1: 2-561
  • 1960/10/3: 2-561
  • 1964/8/30: 3-366
  • 1970/11/28: 5-349
  • 1971/1/26: 5-389

アフリカ→アルジェリア

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 017
  • 1953/10/14: 032(モロッコのタンジェ)
  • 1953/12/25: 084(東アフリカのジブチ
  • 1954/2/16: 117(東アフリカのジブチ
  • 1954/2/16: 122(北アフリカの切り立つ灰色の断崖)
  • 1956/4/6: 155(ジブチ
  • 1956/4/12: 160, 162(エティオピア、エジプト、リビア北アフリカ一帯)
  • 1956/9/3: 204(スペインのタリファから見た対岸アフリカの岩の壁)
『流れのほとりにて』

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 176(東アフリカ、ジブチ), 185-186(「アフリカの光」), 188, 190(アフリカノテュニジア)
  • 1956/7/15: 201
  • 1963/9/8: 219(アフリカのユグルタ)
  • 1965/12/5: 253
  • 1967/3/26: 335(アフリカ人)
  • 1967/4/6: 353(アフリカ問題)
  • 1967/6/7: 403(北アフリカ諸国)
  • 1967/6/13: 428(アフリカ諸国)
  • 1967/8/31: 482

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 035(アフリカ諸国)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 048(アジア・アフリカの独立の問題), 074(地階のアフリカ人のバー)
  • 「パリの生活の一断面」: 161(アジア、アフリカに拡がった古代のキリスト教

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 062(アジア、アフリカの民族の解放)
  • 「旅の空の下で」: 102
  • 「一九六八年の夏の反省」: 111(アジア・アフリカの世界)
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 263

日記

  • 1954/5/18: 1-480
  • 1957/1/12: 1-519
  • 1960/9/8: 2-544(東アフリカのヂブチ近傍)
  • 1967/12/31: 3-509

雨→嵐

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1956/10/8: 009(暗黒のクリークに降り注ぐ豪雨)
  • 1953/10/14: 031
  • 1953/10/20: 060-061(風雨)
  • 1953/10/22: 064-065
  • 1953/10/24: 066(雨と霧), 070(細雨)
  • 1953/10/31: 074(雨と風の中の三週間のイタリア旅行), 075(篠つく雨), 080
  • 1953/12/26: 088(大粒の雨), 089
  • 1953/12/27: 101(雨のしとしと降るくらい、なま暖い日)
  • 1954/2/16: 114(暴風雨)
  • 1956/3/24: 126(豪雨), 133(遥かかなたの暴風雨), 134(小雨)
  • 1956/8/31: 191(風雨)
『流れのほとりにて』
  • 1957/4/26: 260(細い雨)
  • 1957/7/7: 313(夕立)
  • 1957/9/13: 359
  • 1957/12/29: 405
  • 1958/1/1: 407(雨に濡れた歩道)
  • 1958/2/2: 410(時雨を孕んだ薄黒い雲)
  • 1958/2/16 426(時雨を孕んだ黒い雲)
  • 1958/2/24: 432(早春の雨)
  • 1958/4/22: 451(暴風雨)
  • 1958/4/27: 460(細かい雨)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 162, 165(糠のように細かい雨), 166(道路の雨水), 179
  • 1956/7/15: 199(夕立)
  • 1963/9/7: 213
  • 1963/9/7: 215(細雨)
  • 1963/9/10: 222-227
  • 1965/12/4: 248-249(雨に濡れた街路)
  • 1965/12/29: 256(連日の降雨)
  • 1966/1/3: 263
  • 1966/9/3: 283(激しい夕立), 287(小雨)
  • 1966/9/5: 287(夕立)
  • 1966/11/30: 314(冷たい雨), 315(晩秋の雨)
  • 1966/12/2: 317(冷たい雨)
  • 1967/3/1: 319
  • 1967/3/9: 321(雹まじりの雨)
  • 1967/4/10: 357(夏のはじめの日々の繊細な雨)
  • 1967/6/3: 382(烈しい風雨)
  • 1967/8/21: 450(モンスーンの雨), 454
  • 1967/8/30: 462(時雨), 463, 467(俄か雨), 476(雨天)
  • 1967/8/31: 482

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 009, 035(小雨)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 042(風雨)
  • 「遥かなノートルダム」: 097(暴風雨)
  • 「赤いノートルダム」: 111, 113(豪雨), 114, 117(風雨の侵食)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 022(驟雨), 065, 067
その他
  • 「リールケのレゾナンス」: 272(冷たい雨), 275, 280

アメリカ、北米、米

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/8/19: 025
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 181(アメリカ映画)
  • 1956年 初夏: 193
  • 1956/7/15: 201
  • 1965/12/4: 252(アメリカ人)
  • 1965/12/5: 253(アメリカを中心とする北大西洋同盟)
  • 1966/8/31: 280
  • 1966/9/7: 292
  • 1967/4/6: 353(ラテン・アメリカ問題)
  • 1967/4/17: 360(合衆国での巨大なデモンストレーション)
  • 1967/4/23: 366
  • 1967/5/15: 372
  • 1967/6/6: 396-397
  • 1967/6/7: 401(アメリカ国民)
  • 1967/6/10: 418

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 028(米軍), 036-037(米ソの対立緊張)
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 048(黒人問題)
  • 「遥かなノートルダム」: 100(アメリカの基地群の網)
  • 「滞日雑感」: 236(アメリカのヴェトナム介入), 238
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 019(米ソの対立), 021, 053(アメリカの社会), 064
  • 「一九六八年の夏の反省」: 105, 106(男女の関係交渉のヨーロッパ・アメリカ的方式), 111(アメリカを中心とする自由主義をモットーとする資本主義陣営)
  • 「『ことば』について」: 145
  • 「文化の根というものについて」: 158-159

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 274
「故国日本にまつわるエッセー」
  • 「故国の情感」: 281
  • 「八月十五日の感想」: 287, 289, 290
  • 「現下の時点にあたって思う」: 296
  • 「三十年という歳月」: 304(アメリカ単独の占領), 309(アメリカ軍の占領), 313-315

日記

  • 1957/1/12: 1-519
  • 1957/1/27: 1-531
  • 1960/9/10: 2-545
  • 1960/9/12: 2-547
  • 1964/6/14: 3-345
  • 1964/9/3: 3-371
  • 1967/12/29: 3-494
  • 1968/3/16: 4-526
  • 1968/10/22: 4-531
  • 1968/12/28: 4-544

嵐→雨

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/13: 029
  • 1953/10/13: 029
  • 1953/10/14: 030(嵐を帯びた黒雲)
  • 1953/10/15: 034
  • 1953/10/19: 050(嵐の黒雲)
  • 1956/3/24: 133(あらし)
  • 1956/3/26: 137(冬の嵐の真夜中)
  • 1956/9/2: 197(嵐を帯びた灰色の空)
『流れのほとりにて』
  • 1957/9/22: 385
  • 1958/4/22: 451

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1966/1/10: 266(大海の嵐), 267(嵐の吹く曠野)
  • 1966/9/5: 287(嵐気味)
  • 1967/4/11: 358(嵐のさ中)
  • 1967/6/27: 445
  • 1967/11/4: 494

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 029(迫害の嵐)
  • 「遥かなノートルダム」: 077(あらしを孕む日暮がた)
  • 「赤いノートル・ダム」: 116(嵐模様), 117(嵐を孕む少しも赤くない黒雲)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 211(雨の日も風の日も)
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 026
  • 「シャルトルと法隆寺」: 246

アラブ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/9: 013(アラブ人)

集成2

『砂漠に向かって』
  • 1967/6/13: 427
  • 1967/6/14: 429(ナセルとそのアラブ主義), 430
  • 1967/6/21: 441(アラブ世界)
  • 1967/6/27: 443(「タン・モデルヌ」のイスラエル・アラブ特輯号), 446-447(イスラエル・アラブ紛争)

集成4

『旅の空の下で』

日記

  • 1956/11/10: 1-500

在る、在ること→存在

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』
  • 1953/10/8: 009
  • 1953/10/9: 013(人間が人間らしく在る)
  • 1953/10/19: 052(一箇の男性がそのものとして、そこに在るというもの)
  • 1953/10/20: 061
  • 1953/12/25: 081(「自分というものが在る」)
  • 1953/10/31: 076(永遠に在るものの記号)
  • 1956/3/26: 137(ただ「在る」ということの深い意味), 138
  • 1956/8/6: 173(実存主義でいう「そこに在る」)
『流れのほとりにて』
  • 1957/6/12: 293(「在る」ということの本当の意味)
  • 1957/7/7: 316
  • 1957/7/18: 324
  • 1957/8/13: 339
  • 1957/9/13: 365(客観的に在る何か)
  • 1957/9/15: 370
  • 1957/12/22: 399(存在として在る自己)
  • 1957/12/29: 404(「が在る自己」)
  • 1958/2/2: 413(感覚を超えるところに在る、すなわち精神に在る)
  • 1958/2/3: 415-416
  • 1958/4/30: 466

集成2

『城門のかたわらにて』
  • 1958/11/2: 029
  • 1958/11/4: 034
  • 1958/12/31: 080
  • 1959/1/1: 083(在り始めた)
  • 1959/1/3: 087(最初の出発の状態に在る)
  • 1959/9/1: 115
『砂漠に向かって』
  • 1952年 ノエルの宵: 169(現実にあるということ), 188
  • 1967/3/28: 342(常にそこに在った)
  • 1967/4/8: 354(現に存している場所に、このように在ること)
  • 1967/4/23: 367(在ると言えば在る)
  • 1967/6/3: 386(「現に在るもの」)
  • 1967/6/4: 389(そこに在るこの私)
  • 1967/6/10: 419(自分が「在る」ところのそのもの)
  • 1967/6/27: 444(人が在るところのもの), 445
  • 1967/8/21: 451
  • 1967/8/30: 456-457, 459, 461
  • 1967/8/31: 476(東京に在る自己), 478, 481
  • 1967/11/3: 487
  • 1967/11/4: 490-492
  • 1967/11/7: 496
  • 1967/11/14: 499

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 072(本当に在るもの)
  • 「遥かなノートルダム」: 079, 080(「我思う、故に我在り」), 106, 108
  • 「ルオーについて」: 168, 170, 187(『ひとり在る』), 191(本当に「在る」), 192-193(「在ること」)
  • 「思索の源泉としての音楽」: 212
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』
  • 「変貌」: 014(「在る」), 017(そこに在る), 027, 057-058
  • 「旅の空の下で」: 080(正に在った), 098(本当に在るもの)
  • 「早春のパリから初秋の東京まで」: 120, 135, 137
  • 「文化の根というものについて」: 161
  • 「初秋のパリから」: 215
  • 「シャルトルと法隆寺」: 250, 254

集成5

『木々は光を浴びて』
  • 「パリ」: 242

アルジェリア、アルジェリア人→アフリカ

集成1

『バビロンの流れのほとりにて』

集成2

『砂漠に向かって』

集成3

『遥かなノートル・ダム』
  • 「霧の朝」: 035(アルジェリア問題), 036
  • 「ひかりとノートル・ダム」: 048(北阿問題)
  • 「ルオーについて」: 200
ノートルダム寺院を主題にする」

集成4

『旅の空の下で』

日記

  • 1957/1/27: 1-531
  • 1960/9/30: 2-560
  • 1962/6/11: 3-318
  • 1964/7/26: 3-359
  • 1967/12/26: 3-483
  • 1971/2/25: 5-396