造形、造型→芸術
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/9: 022
- 1953/12/25: 085, 086(あらゆる造形の世界)
- 1954/2/16: 119(造形)
- 1956/3/26: 139(造型)
- 1956/3/27: 143
- 1956/9/3: 203
『流れのほとりにて』
- 1957/4/19: 229(造形に伴うすべての偶然性と破れ)
- 1957/4/21: 248(造形美術家)
- 1957/4/26: 267, 268
- 1957/6/1: 277
- 1957/6/3: 282
- 1957/7/7: 315
- 1957/7/8: 320
- 1957/7/18: 324
- 1957/7/20: 334
- 1957/9/30: 393
- 1958/2/2: 413(造形家)
- 1958/2/24: 434
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/7/5: 011
- 1958/8/10: 023
- 1958/11/4: 035
- 1958/12/13: 058
- 1958/12/14: 062
- 1959/8/19: 097
- 1959/9/3: 117
- 1959/10/10: 150
『砂漠に向かって』
- 1952年 ノエルの宵: 172
- 1963/4/13: 206-207, 209
- 1963/9/8: 217(造形美術的感動)
- 1963/9/13: 234(ルネサンスの造形)
- 1963/9/17: 241(造形の秩序の展開)
- 1966/1/12: 272(『造形的』成果)
- 1967/3/1: 320(造形性)
- 1967/8/30: 458
- 1967/8/31: 478(造形的表現)
- 1967/11/4: 493
集成3
『遥かなノートル・ダム』
操作
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1954/2/16: 120
- 1956/5/9: 166(アノニムな分析・綜合の厳密な計量的操作)
『流れのほとりにて』
- 1957/4/20: 239(本質直観という操作)
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/11/2: 031(科学的操作)
『砂漠に向かって』
- 1966/1/12: 272
- 1966/9/18: 303(言葉や観念の操作)
- 1967/6/6: 394
- 1967/6/9: 414(集合論的操作)
- 1967/8/21: 453
- 1967/8/31: 483
- 1967/11/4: 490
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「ひかりとノートル・ダム」: 057(実験科学の操作による成果), 061
- 「遥かなノートルダム」: 108(知識を操作する精神の問題)
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 029
- 「早春のパリから初秋の東京まで」: 127
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 192
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「わが思索わが風土」: 197
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「現下の時点にあたって思う」: 299
- 「三十年という歳月」: 311(数的等質的操作)
「早春のパリから初秋の東京まで」(――辻邦生著『夏の砦』をめぐって――)(『集成4』)
集成2
『砂漠に向かって』
- 1967/8/30: 473
曽祖父(森喜右衛門有恕)
集成2
『砂漠に向かって』
- 1963/4/13: 206
- 1963/9/13: 231(香川景樹が曽祖父のために書いた和歌の軸)
- 1967/4/6: 353
祖父(森有礼)→家族
集成2
『砂漠に向かって』
- 1963/4/13: 206
- 1963/9/13: 231(李鴻章が祖父に贈った揮毫の軸)
- 1967/4/6: 353(祖父の生涯)
- 1967/4/11: 358-359(祖父の遺訓)
- 1967/4/22: 365(祖父の(木村匡氏による)伝記)
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「わが思索わが風土」: 186
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「三十年という歳月」: 309(祖父が右翼の手で斃れ)
日記
- 1964/9/3: 3-371
- 1967/12/27: 3-488
- 1967/12/31: 3-508-510
- 1968/1/11: 4-487
- 1969/5/15: 4-573
祖母(岩倉寛子)→家族
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1954/1/5: 108(母方の祖母), 109
『流れのほとりにて』
- 1957/4/18: 222
- 1957/6/3: 284
- 1957/6/27: 305(不幸の中に生き続けた祖母)
- 1957/7/7: 313
- 1958/2/17: 429
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1959/8/25: 107
- 1959/9/28: 126
『砂漠に向かって』
- 1963/9/13: 232
- 1966/1/26: 276(稚い日の、父や母、祖母たちの姿)
- 1967/5/28: 378(祖母の姿)
- 1967/8/31: 479(祖母や母の面影)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「遥かなノートルダム」: 091
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「わが思索わが風土」: 185
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「故国の情感」: 284
日記
- 1957/3/11: 1-543
- 1959/3/22: 2-523
- 1965/4/18: 3-411
- 1965/9/2: 3-421
- 1967/12/17: 3-449-450
ソルボンヌ(パリ大学文学部、パリ第三大学)
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1956/3/27: 143
- 1953/12/26: 092
- 1954/1/5: 113
- 1956/4/6: 153(ソルボンヌのH教授)
- 1956/4/9: 155
- 1956/4/12: 159, 163
『流れのほとりにて』
- 1957/5/16: 272
- 1957/6/1: 274(ソルボンヌ友の会)
- 1957/8/19: 342
- 1957/9/30: 389(ソルボンヌの講師のL君)
- 1957/12/22: 396(ソルボンヌのアグノエル教授)
- 1958/1/1: 408(ソルボンヌのH博士)
- 1958/2/2: 409
- 1958/2/17: 429
- 1958/3/6: 437
- 1958/5/5: 467(ソルボンヌのジャンケレヴィッチの終講の言葉)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「ひかりとノートル・ダム」: 056
- 「パリの生活の一断面」: 136
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 028, 043-044(ソルボンヌの教会堂)
- 「文化の根というものについて」: 163
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 186-187, 201
日記
- 1956/11/10: 1-501
- 1956/11/15: 1-505
- 1957/1/17: 1-522
- 1959/3/17: 2-513
- 1959/3/19: 2-518
- 1960/10/1: 2-560
- 1960/11/20: 2-565
- 1961/5/7: 3-313
- 1964/11/17: 3-379
- 1964/11/26: 3-381
- 1964/11/28: 3-382
- 1965/3/4: 3-393
- 1965/3/18: 3-397-398
- 1965/3/20: 3-402
- 1967/1/6: 3-430
- 1967/11/23: 3-431-432
- 1967/12/14: 3-445
- 1967/12/15: 3-447
- 1967/12/30: 3-500
- 1968/1/11: 4-486
- 1968/2/17: 4-509
- 1968/2/22: 4-512
- 1968/2/24: 4-516
- 1968/3/2: 4-519
- 1969/3/26: 4-560
- 1969/5/11: 4-568
- 1970/1/25: 5-324
- 1970/11/29: 5-349-350
- 1971/1/20: 5-384
- 1971/3/27: 5-408-409
- 1973/3/4: 5-497(リシュリュー礼拝堂のオルガン)
ソ連
集成1
『流れのほとりにて』
- 1957/6/3: 283
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/8/3: 020
- 1958/8/19: 025
- 1958/11/2: 029
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「霧の朝」: 036-037(米ソの対立緊張)
- 「遥かなノートルダム」: 100
- 「滞日雑感」: 238
集成4
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「暗く広い流れ」: 093
- 「パリで中国を想う」: 111, 116, 117, 119, 125-126
- 「大陸の影の下で」: 147, 153, 155, 169, 173
- 「感想」: 201, 212, 213, 225
- 「パリ」: 274
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「八月十五日の感想」: 289, 290
- 「現下の時点にあたって思う」: 296
- 「三十年という歳月」: 304(ソ連軍)
日記
- 1957/1/26: 1-528
- 1957/1/27: 1-531
- 1960/9/9: 2-545
- 1960/9/12: 2-547
- 1967/12/24: 3-472(モスクワ)
- 1967/12/29: 3-494
存在→在る
集成1
『バビロンの流れのほとりにて』
- 1953/10/9: 017, 018
- 1953/10/17: 042(僕の存在それ自体)
- 1953/10/19: 054
- 1953/10/20: 057
- 1953/10/24: 073(我々の存在の全機能)
- 1954/1/5: 110(自分自身の存在), 111, 112
- 1954/2/16: 118-119(母の存在), 120, 121(自分の存在の根底)
- 1954/3/3: 124
- 1956/3/24: 128(存在の全て), 129, 130, 133
- 1956/3/27: 142(神の存在証明)
- 1956/4/9: 158(目に見えるだけの一面的存在)
- 1956/4/12: 161(僕の存在そのもの)
- 1956/5/10: 169
- 1956/8/5: 170
- 1956/8/29: 178(僕の存在とは区別された、別の存在)
- 1956/8/30: 183(科学者というには余りに偉大な存在)
- 1956/9/2: 194, 196
『流れのほとりにて』
- 1957/4/18: 216, 224
- 1957/4/22: 256
- 1957/4/27: 270
- 1957/5/30: 273(自分の生の存在)
- 1957/6/1: 277(芸術の存在), 278(僕の存在の事実), 279(人間の存在)
- 1957/6/10: 287
- 1957/6/12: 292(その知人の存在)
- 1957/6/14: 298(存在の孤独)
- 1957/6/27: 307
- 1957/7/20: 329
- 1957/9/22: 384(人間存在)
- 1957/9/30: 393(存在条件), 395
- 1957/12/22: 397-398, 399
- 1958/2/3: 415(僕という存在)
- 1958/2/9: 418
- 1958/2/10: 420(存在を更に超える何ものか), 422(存在の実体), 423
- 1958/2/24: 433(ギリシアの存在論)
- 1958/3/7: 440(もっと真剣な存在)
- 1958/4/22: 451
- 1958/4/27: 461
- 1958/4/30: 463, 465(意味が存在に通ずる道), 466
集成2
『城門のかたわらにて』
- 1958/7/5: 013
- 1958/11/2: 029(存在論的証明)
- 1958/11/4: 034(一個の人間の存在)
- 1958/11/9: 038
- 1958/11/13: 046(自分の存在)
- 1958/12/14: 061, 063
- 1958/12/18: 066, 067
- 1958/12/25: 072
- 1958/12/27: 076
- 1959/1/1: 083
- 1959/8/19: 095
- 1959/8/25: 110(人間存在)
- 1959/9/1: 114
- 1959/9/28: 125(憐れむべき存在)
- 1959/10/2: 131, 134, 137, 138
- 1959/10/10: 149, 150
『砂漠に向かって』
- 1952年 ノエルの宵: 165(過去の世界の中の存在), 169(価値と存在), 170, 183(私の存在), 187(私という存在の状態)
- 1956年 初夏: 193, 197-198(人間存在)
- 1956/7/15: 199
- 1963/4/13: 206
- 1963/9/10: 223
- 1963/9/13: 234(僕の全存在), 237
- 1963/9/17: 244
- 1965/12/5: 254(存在と思想)
- 1965/12/29: 256(存在全体の働き)
- 1966/1/12: 272(人間存在のエキリーブル)
- 1966/9/6: 290
- 1966/9/8: 293
- 1966/9/18: 303(人間存在)
- 1966/11/30: 315
- 1966/12/1: 316
- 1967/3/10: 324(「存在中のもっとも複雑で、それ故もっとも依存的な存在」)
- 1967/3/11: 327(全存在)
- 1967/3/26: 335(存在そのものの奥底), 336
- 1967/3/27: 338(存在の不安)
- 1967/3/30: 346(現存在(haeccétié)
- 1967/3/31: 350(私の存在)
- 1967/4/8: 355(一個の人間存在)
- 1967/5/28: 378-379(私の存在の奥底)
- 1967/6/3: 387(私の存在の複雑な圏)
- 1967/6/4: 388(私の全存在)
- 1967/6/5: 390(私の存在), 391
- 1967/6/6: 398
- 1967/6/7: 399-400
- 1967/6/8: 405, 408(存在と仕事)
- 1967/6/9: 414(思考と存在)
- 1967/6/11: 422(全存在的)
- 1967/6/27: 444
- 1967/6/28: 447
- 1967/8/21: 453
- 1967/8/30: 458, 461(真に存在しはじめた), 471-472(私の存在), 474(存在的共鳴)
- 1967/8/31: 480, 481(存在の一部あるいは、存在そのもの)
- 1967/11/3: 486(私の全存在)
集成3
『遥かなノートル・ダム』
- 「霧の朝」: 017(自己の存在), 032
- 「遥かなノートルダム」: 079, 081(存在の序列), 087(最も深い存在根拠), 094, 098-099(存在の欠如), 107
- 「ある夏の日の感想」: 122(神や世界の存在), 127, 131(全生涯と全存在), 133(人間存在)
- 「パリの生活の一断面」: 145, 147, 149, 151
- 「ルオーについて」: 170, 179, 184(存在的), 205
- 「思索の源泉としての音楽」: 213-214
- 「滞日雑感」: 221, 232(日本人の存在性), 238
集成4
『旅の空の下で』
- 「変貌」: 014, 040, 046, 050(存在的基礎)
- 「旅の空の下で」: 072(個人と社会という二つの対極的問題的存在性), 087
- 「一九六八年の夏の反省」: 108
- 「早春のパリから初秋の東京まで」: 119
- 「文化の根というものについて」: 164, 171(意志的存在)
- 「カルティエ・ラタンの周辺にて」: 188, 194(僕の存在の本当の現実), 195-197, 199(人間という存在), 202
- 「初秋のパリから」: 212
- 「偶感」: 243, 244
その他
- 「リールケのレゾナンス」: 260(私の小さい存在), 275(我々の存在の諸条件)
集成5
『木々は光を浴びて』
- 「暗く広い流れ」: 083(人間存在)
- 「感想」: 229(自己の存在の深みにある問題)
- 「パリ」: 243
「故国日本にまつわるエッセー」
- 「故国の情感」: 283
- 「三十年という歳月」: 309, 310(一人の人間の存在の根底), 311(実在する存在), 319(存在へともたらす作用)
日記
- 1969/1/4: 4-545(「自己の存在」)